OT【作業療法】のブログ~医療・介護福祉・リハビリ~

2008年から作業療法士をしています。医療福祉の情報や病気、怪我、体験談なども書いていきたいと思います!! よろしくお願いします。

【介護】推定意思とは~Twitterをしていて知った言葉~

【介護】推定意思とは~Twitterをしていて知った言葉~

 

●日本循環器学会より

本ガイドラインに書かれている事前指示、推定意思とはどのような意味ですか?

アドバンス・ディレクティブ(advance directives; AD)の日本語表記です。 意思決定能力の低下や喪失に備えて、十分な能力があるうちに自分の意思を、文書もしくは口頭により表示しておく方法です。

 

●E-Field資料より

◎推定意思を知る

https://square.umin.ac.jp/endoflife/shiryo/pdf/h29/shiryo01/6.pdfより

A:現時点での患者自身の直接的な言語表現

・常に患者が自分自身の選好を何らかの形で表現できる機会はあると考える

・合理的判断が可能な状況においてはもっとも強い根拠

・合理的で自由な選好を何らかの形で表現できる環境を整える

・誘導的な操作を行わない。

B:過去の患者自身の直接的な言語表現

・Advance Care Planning(事前ケア計画)

・明記されたAdvance Directives(AD:推定意思)

・メモや録音記録

・かかりつけ医の証言(やや間接的)

・家族の証言(やや間接的)

C:現時点での患者自身の間接的な表現

・侵襲的なケアの一時的な拒否は、誰でもある(身体拘束、吸痰の拒否、経鼻チューブの抜去)

・再現性を観察する

・抑うつやせん妄などの影響について考慮する

D:過去の患者自身の間接的な表現

・自由に対する考え方

・死や、死にゆくことに関する考え方

・医療や健康に対する考え方

・医療や健康サービスへのアクセス

・家族などから見た印象や理解

・「延命治療」等のテーマに関するエピソード

家族の声:患者の最善利益の査定において家族がもつ2つの役割

・患者の声を代弁するもの

「患者自身は、どのようにお考えだと思われますか?」

・患者のことを大切に感じ、世話するものとしての意向を表現するもの

「ご家族としては、どのようなお気持ちでしょうか?」

 

●文献から引用より

https://www.jstage.jst.go.jp/article/itetsu/28/0/28_KJ00008960595/_pdf/-char/ja より

患者自身の人生という物語が、最期まで途切れることなく、自らの手で「書き綴られること」を支えるために、医療者や家族など患者を取り巻く様々な人間関係が織り成す、QOL 向上のためになされる支援・サポートのひとつなのであって、決して人生という物語を強引に「終わらせる」ようなものではない。

 

●救急・集中治療における終末期医療に関するガイドラインより

延命措置への対応

終末期と判断した後の対応

(3)患者の意思が確認できず推定意思も確認できない場合

患者の意思が確認できず、推定意思も確認できない場合には、家族らと十分に話し合い、患者にとって最善の治療方針をとることを基本とする。医療チームは、家族らに現在の状況を繰り返し説明し、意思の決定ができるように支援する。医療チームは家族らに総意としての意思を確認し対応する。

① 家族らが積極的な対応を希望している場合

家族らの意思が延命措置に積極的である場合、あらためて「患者の状態が極めて重篤で、現時点の医療水準にて行い得る最良の治療をもってしても救命が不可能であり、これ以上の延命措置は患者の尊厳を損なう可能性がある」旨を正確で平易な言葉で家族らに伝え、家族らの意思を再確認する。家族らの意思の再確認までの対応としては現在の措置を維持することを原則とする。再確認した家族らが、引き続き積極的な対応を希望する時には、医療チームは継続して状況の理解を得る努力をする。救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン

② 家族らが延命措置の中止を希望する場合

家族らが延命措置の終了を希望する場合、患者にとって最善の対応をするという原則に従い家族らとの協議の結果、延命措置を減量、または終了する方法について選択する。

③ 家族らが医療チームに判断を委ねる場合

医療チームは、患者にとって最善の対応を検討し、家族らとともに合意の形成をはかる。

 

様々な資料からわかる事

推定意思について、上記の資料を提示しましたが、“十分な能力があるうちに自分の意思”合理的判断が可能な状況においてはもっとも強い根拠”“メモや録音記録”などご本人が「自分の最期はこうでありたい」という強い意思を感じるものが必要であるという事が分かります。

そのため、“家族らに現在の状況を繰り返し説明し、意思の決定ができるように支援する。チームは家族らに総意としての意思を確認し対応”しなければならないと【救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン】には明記されています。

 

この方のお考えでは、”推定意思”を尊重しているようですが・・・

ある介護職員?のTwitterの一文・・・

“帰宅して初日は食べられて、翌日はマグロで窒息&そっこー吸引などしかながら退院して2週間なかった余生を食べたり海行ったりしながら生きられました。医師や本人・家族とも話した上でのチャレンジ。”

と書かれていましたが、本当ご家族に何度も誤嚥する可能性や窒息してしまう可能性を説明したのだろうか?、また食事形態や食事姿勢、職員の介助方法など考慮した上での食事だったのであろうか???

この一文では、どういう状況でご本人・ご家族や医師にどのような説明がなされたかは分かりませんが、高リスクで実施されたことは間違いありません。また、Twitterという不特定多数がみるSNSにこんな大切なものをこんなあっさりと載せていい物だろうか…。現在このツイートが残っているかは分かりませんが・・・。

私が思ったことは「退院して2週間なかった余生を食べたり海行ったりしながら生きられました。」の部分から、ご本人を代弁したかのように書かれていますが、この職員の自己満足になっているのではないかと思ってしまいます。

介護分野での推定意思については、これからも考えていかなければなりません。認知症や疾患による認知機能の低下された利用者さんに対して、どう向き合いどう最期を迎えるのか、この課題は一生考えていかなければならない課題になると思います。