【今日は何の日】七夕
別名「笹の節供」「星祭り」。江戸時代に五節供の一つに定められました。
●七夕の由来
新暦の7月7日はまだ梅雨が明けないのでなかなか星を見るのは難しいですが・・・、旧暦だと現在の8月に当たるため、星を見ることができます。
天の川は?
・琴座のベガの織姫(織女星)
・鷲座のアルタイルの彦星(牽牛星)
この2つの星と白鳥座のデネブを結ぶと「夏の大三角形」と呼ばれます。
●織姫と彦星
簡略化バージョン
①天の川の西岸に織姫が住んでいた。
②織姫は機織りの名手。父親は天帝。
③天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせた。
④そして二人は夫婦に。
⑤結婚してから、二人は仕事もせずに遊んでいた?。
⑥怒った天帝は、天の川を隔てて二人を離れ離れにした。
⑦悲しみに明け暮れる二人・・・。
⑧天帝は、七夕の夜だけ二人が再会することを許した。
⑨二人はカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度だけ会えることとなった。
●乞巧奠(きっこうでん)
中国では「乞巧奠」(きっこうでん)という行事があります。
「乞巧奠」の意味
「乞」:願う
「巧」:巧みに上達する
「奠」:まつる という意味。
織姫にあやかり様々な手習いごとの上達を願っているようです。
「乞巧奠」が奈良時代の遣唐使によって日本に伝わってきたそうです。
●七夕と呼ぶようになったのは?
日本では織った布を祖霊や神にささげたり、税として収めたりしていました。
旧暦の7月はお盆や稲の開花期、麦などの収穫期です。お盆に先立ち祖霊を迎えるために女たちが水辺の機屋にこもって機を織る行事が行われていました。
水の上に棚を作って機を織ることから、これを「棚機」(たなばた)といい、機を織る乙女を「棚機つ女」(たなばたつめ)と呼びました。
この行事と乞巧奠が組み合わさって、現在の形に変化したようです。
そして、7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わったそうです。
●短冊は江戸時代から?
短冊に願い事を書いて笹に掛けるようになったのは、江戸時代から。
寺子屋で学ぶ子が増えたことで、星に習い事などの上達を願うようになったからだそう。
本来は短冊には、短冊には「○○が欲しい」などの願いごとではなく、上達や夢などを書くが良いですね。
●七夕飾りの意味
吹き流し:織姫の織り糸を表す。五色を用いて魔除け。
網飾り:魚を捕る網を表す。豊年豊作大漁の願いが込められる。
折鶴(千羽鶴):長寿を願う。
神衣(かみこ):裁縫が上達し、着るものに困らなくなる。災いを人形に移すという意味もある。
財布(巾着):金運上昇を願う。
くずかご:ものを粗末にしないという意味。
七夕飾りや笹は、七夕の夜のためのものなので翌日には取外します。
願い事を書いた短冊は、社寺に持ち込めばお焚き上げしてもらえるようです。
参考資料
http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/gosekku/tanabata/